いうまでもなく、松尾芭蕉は俳聖とうたわれた人である。 延宝八年(一六八〇)深川に芦やかやの生える草原に草庵を借りる。次の年に門弟の一人がめずらしい植物を縁先に植えた。芭蕉である。この頃から旧友や門弟たちは草庵を「芭蕉庵」と呼ぶようになり、ここに始めて松尾忠衛宗房、俳号、桃青は、芭蕉と称す。(三十五、六の頃) 天保二年(一六八二)十二月二十八日 俗にいう八百屋お七の放火事件により江戸中が火の海となり「芭蕉庵」は一度焼けている。
さて、芭蕉は貞享元年(一六八四)八月、四十一の頃、最初の旅に出る。のちに「野ざらし紀行」としてまとめられ、吉野、名古屋、奈良、京都をめぐる約九ヶ月程の旅であった。もちろん長旅であったが、その間何度も生まれ故郷 伊賀上野に立寄っている。 一六八八年三月、再び吉野探訪の旅に出る。今度は大阪より舟で須磨、明石まで足を伸し、大津でしばらく滞在。この頃に長良川の鵜飼を見に行っている。 「面白うてやがて哀しき鵜舟かな」 この時は五ケ月程の旅であった。
吉野探訪から一年(一六八九)三月二十六日、いよいよ「奥の細道」へと旅立つのである。 「行く春や鳥啼き魚(うお)の目はなみだ泪」 二十七日早朝この句を詠み干住から日光街道へと向かったのである。 同行者「曽良(そら)」曽良は元武士で本名岩波庄右衛門。この時、四十一歳であった。 さて「奥の細道」では芭蕉が越後(新潟)に着いたのが、七月二日。江戸を出てからなんと三ヶ月程で東北をめぐったことになる。 七月四日寺泊をへて出雲崎に投宿。その日の夜は風も波の音も激しく障子を開けると佐渡島の上に、銀河が広がっており 「荒海や佐渡によこたふ天河」 と詠んだ。 七月十二日 「親知らず」「子知らず」をへて越後最後の地「市振」に泊る。伊勢参宮への道中らしい遊女と知りあい 「一家に遊女もねたり萩の月」 と風流な句を残す。 いよいよ七月十三日越中(富山)へ入る。 黒部川、片貝川等を渡り滑川へ。翌十四日は、大伴家持が句を残す景勝地、奈呉ノ浦へ。有磯海から高岡へ入った。 「早稲の香や分け入る右は有磯海」
七月十五日 「源平合戦」の舞台となり「火牛」で有名な倶利伽羅峠を越えて百万石の城下町、金沢に着く。 芭蕉は金沢には九日程滞在している。「宮竹屋」という旅籠で地元の俳人ちくじゃ竹雀たちと歓談したり、犀川のほとり松玄庵に招かれて歌仙を巻いたり、野端山や宮ノ越にと遊んでいる。 「秋涼してごと手毎にむけや瓜茄子(うりなすび)」 浅ノ川のほとりほくしてい北枝亭に招かれたときに 「あかあかと日はつれなくも秋の風」 と詠んだが前年に死んだ門弟の一笑の追善会に出席し 「塚も動け我が泣く声は秋の風」 とせつない表現になった。
七月二十四日は小松に向う。小松の俳人 北枝(ほくし)は多田八幡宮(現在は多太神社)に案内「斉藤別当実盛の甲(さいとうべっとうさねもりのかぶと)」を説明する。寿永二年(一一八三)平維盛(たいらのこれもり)と木曽義仲(きそよしなか)の戦いにおいて維盛の家来実盛は老武者ゆえ白髪を染め出陣。首を打たれ首実検のため洗ってみると白髪頭の実盛であった。義仲は幼い頃実盛には大変世話になっており、この白髪首をみて号泣したという。 「むざんやな甲の下のきりぎりす」 の句を多田八幡宮に奉納した。また建聖寺には 「しほらしき名や小松ふく萩すすき」 の句が残っている。
七月二十七日山中温泉へ投宿。 「山中や菊はたをらぬ湯の匂」 宿泊先は「和泉屋」という。ここのあるじは十四、五歳の少年だった。叔父の手びきで俳諧を少々たしなみ、乞われるまま少年に「桃妖(とうよう)」の俳号を与え 「桃の木の其葉ちらすな秋の風」 の句を添えた。山中温泉には十日程滞在していたが曽良の体調が悪く、曽良は一人山中温泉を後にして伊勢へ向った。 「今日よりや書付消さん笠の露」 八月五日小松の俳人生駒万子(いこままんし)に招かれて小松に戻る途中「北枝」の案内で那谷寺へ寄る。北枝は加賀藩おかかえ研師、立花源四郎の俳号名である。静寂そのもので観音堂のある岩窟をはじめ奇岩が多く、またその石の白さに 「石山の石より白し秋の風」 と詠む。 八月七日 大聖寺郊外の全昌寺を訪れる。一足先にこの寺に宿泊した曽良の句 「夜宵(よもすがら)秋風聞くやうらの山」 を受けとる。芭蕉は翌朝出発の前に 「庭掃て出(いで)ばや寺に散る柳」 としたためる。 八月八日はきたがたこ北潟湖で舟をやとい「潮越(しおごえ)の松」を見に行くが西行法師の歌につきると句は詠んでいない。この日は丸岡、天竜寺に投宿。八月九日北枝は小松へ帰り、芭蕉は一人道元 禅師が開いた永平寺に参拝。福井では俳人「等栽(とうさい)」に世話になる。
八月十二日 等載と一緒に敦賀に向う。今庄で一泊。木ノ芽峠を越えて十四日には敦賀に着く。宿は出雲庵。二人は氣比神社を参拝 「月清し遊行のもてる砂の上」 を詠んでいる。また 「名月や北国日和定めなき」 の句は八月十五日。せっかくの十五夜の夜だというのに雨の為がっかりしたらしい。又、種ノ浜で酒宴し、 「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」 「浪の間や子貝にまじる萩の塵」 を詠んでいる。 八月二十日 芭蕉の門弟「路通」が迎えに来る。芭蕉はふつう路通と二人北国街道を南へ、木之本、をへて、関ヶ原をへて、奥の細道の最終地大垣へと向う。芭蕉はおそくとも八月二十一日までには大垣にたどり着いていたと考えられている。 百五十日、旅程六百里の旅であった。
奥の細道芭蕉句(芭蕉真筆)〔小松・那谷寺所蔵〕 旅先で故一笑に捧げた句(左)「つかもうごけ我泣声は秋の風」。前書きに「とし比(年頃)我を待ける人の/みまかりけるつか(塚)にまう(旨)でゝ」とある。右は曽良「玉よそ(添)ふはか(墓)のかざし(挿頭)や竹の露」。紙本
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